【エッセイ】自然との共生 現代世界に

(ジョーモネスク ジャパン Jomonesque Japan vol.1 掲載)
NPO法人 ジョーモネスクジャパン理事長 小林達雄


 縄文は世界に冠たる異端児だ。

 とにかく西アジアに登場した新石器文化とは土器を保有するという強い共通性を示しながらも、縄文は肝心要の農耕をもたないのである。だから大きな欠点を抱えた新石器文化の傍流あるいは不完全極まりない新石器の劣等生と見下されてきたのではあるが、それは縄文学の開基山内(やまのうち)清男(すがお)博士以来の根強い偏見と言わねばならない。けれども縄文文化の魅力に取り憑かれて文明に格上げしたり、新石器文化から生まれた世界四大文明に割りこませて五大文明を標榜したりするのは見当ちがいである。

 たしかに新石器は農耕と密接に関係するが、それが直ちに歴史的真価を意味するのではなく、むしろ定住的なムラを営む事実にこそ重大な歴史的意義があり、農耕はあくまで定住に到達する重要な手段にすぎない。縄文とて耐久性のある堅穴住居に寝起きする定住社会を実現しており、両者の歴史性に優劣はなく、同格なのである。

 その縄文世界は日本列島全域に行き渡っていて、まさに縄文列島とも呼ぶことができるが、決して一枚岩というわけではなかった。実際は特徴的な土器様式に象徴されるいくつもの文化圏に分かれていた。南北海道と北東北もその一つであり、津軽海峡を挟んで終始一衣帯水のまとまりを示していたのである。

  しかもこの津軽海峡文化圏は縄文前期から中期の円筒土器や、晩期の亀ヶ岡式土器(青森県つがる市・亀ヶ岡遺跡出土の土器を指標にする土器様式)に代表される強烈な個性で他を圧倒して縄文文化を主導するほどの文化力を発揮していたのである。たとえばヒスイの玉類の保有数は唯一の原産地新潟県域以外にあって最も多数を誇る事実の示す通りである。

 さらに注目すべきは、ストーンサークルや巨木柱列や土盛り遺構のめざましい発達である。いずれもが縄文の日常性からは想像を絶するほどの規模を特徴としている。その造営を可能とした大勢の動員力や長期にわたる工事の継続性を保障する背景には確固たる社会的組織の成長が推定されるのである。それにしても遠目にも鮮やかな代物にもかかわらず、どう見立てても腹の足しになるような施設ではない不思議がある。おそらくは縄文人の心ばえから創造された記念物モニュメントとして、まつり、儀礼の執行される聖所を象徴するものなのであろう。

 近年、こうした記念物に隠されていた極めて重大な事実が明らかになってきた。つまり場所の選定やカタチの設計には特定の方位が意識されていて、春分、秋分、夏至、冬至の日の出や日の入りを指示しているのである。イギリスのストーンヘンジのしかけと同じであるばかりか、約千年も古く溯るのである。この点に限ってみても、まさに世界に気を吐く縄文の面目躍如たるものを知るのである。

 ところで、いま我々に必要なのは縄文文化の核心へのさらなる接近である。

 縄文はムラのソト(外)に広がるハラ(原)から食料や道具作りに必要な資材を入手しながらも、一方的に略奪するのではなく、自然的秩序をちゃんと残したまま、決して共存共生の関係を崩してはいなかったのである。かたや大陸側の新石器はムラの周囲にハラの自然を許さず、食料増産のために農地=ノラ(野良)へと開墾すべき遊休地と見做していた。この自然に対する止むことなき干渉を通して効率が追求され、結果として技術の発達を促しはしたが、そのことがかえって近年ヨーロッパの合理主義へと加速させ、ついには地球温暖化や環境破壊に通ずる袋小路に迷い込んで身動きさえもままならなくなったのである。

 いま改めて自然と共生した縄文精神が求められているのは、日本列島の歴史を越えた現代世界へのメッセージが含まれているからにほかならない。南北海道と北東北の縄文遺跡の世界遺産登録を推進すべき意義はまさにここにあるのだ。昨年秋にはイギリス大英博物館で開催された縄文土偶展には、北海道から著保内野出土の国宝土偶など5点が出品されており、私も同博物館で開かれた日本の縄文文化について紹介するシンポジウムに参加してきたのである。



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