縄文ランドスケープ001 天神原遺跡

担当:大工原豊


時期:中期末様(加曽利E4式期)~晩期前葉(天神原=安行3c式期)
所在地:群馬県安中市中野谷字天神原地内
緯度・経度:36°17’13” 138°51’28”(測地系Tokyo)
撮影日:1995年12月22日(冬至)(1)・1996年3月27日(春分)(2)・1998年3月18日(春分)(3)
方角:妙義山(金洞山)N-90-W 大桁山S-34-W


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(1) 天神原遺跡冬至日没



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(2) 天神原遺跡春分日没



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(3) 天神原遺跡春分日没




 天神原遺跡(4)は、上毛三山の一つ妙義山の東方約10㎞の河岸段丘上に位置します。
 ここには縄文時代中期末葉~後期前葉にかけて集落が形成されています。
 しかし、縄文時代後期中葉~後葉にかけて配石墓群が形成されるようになり、遺跡の性格が大きく変容します。
 この時期になると配石墓群のほか、立石を伴う眼鏡状配石遺構と方形配石遺構が構築され、墓域としてだけではなく儀礼・祭祀の場としても利用されるようになります。

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(4) 天神原遺跡と妙義山




 縄文時代晩期前葉になると墓域として埋設土器群が形成されるとともに、後期の配石墓群(5)の上に環状列石(環状積石)が形成され、石棒祭祀遺構も構築されるなど祭祀の場としての性格がいっそう強まります。
 当期には環状列石の西端部に3本の立石を伴う祭壇状遺構(6)が構築されます。

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(5) 縄文時代後期の配石墓群



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(6) 妙義山に向かって立てられた3本の立石




 この立石は西方にそびえ立つ奇峰妙義山の三つ峰に対応しています。
 そして、春分・秋分には中心峰金洞山に日が沈み、南西に方向に存在する神奈備型の大桁山には冬至に日が沈む光景が観測できます。
 ちなみに、ここからは妙義山の上にもうひとつヤマが出現する磯部蜃気楼現象も観測することができます。
 縄文人にとって、妙義山は天上のアノ世を意識させる神秘的なヤマとして認識されていたようです。

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