【エッセイ】縄文環状貝塚から瓦礫記念塔建立まで(前編)

(ジョーモネスク ジャパン Jomonesque Japan vol.3 掲載)
NPO法人 ジョーモネスクジャパン理事長 小林達雄


 日本列島を舞台とする歴史に、最初にして最大級の異変が現れた。15,000年ほど前の縄文革命、旧石器時代文化に続く新時代の幕開けである。

 土器をはじめ、弓矢、犬の飼育など新規の道具や技術が次々と登場した。そして何よりも長い遊動的生活から定住的なムラを営むに至ったことが重要である。縄文文化形成の体勢が整えられ、順調な歩みがはじまったのだ。ところが、やがて全く予期しなかった事態がその水面下で進行しつつあった。気がついたら、そこかしこにゴミが溜って生活の場がおびやかされるようになったのである。人類が初めて経験したゴミ問題の勃発だ。

 一ヶ所に滞在することなく、転々とキャンプ地を移り住んでいた旧石器時代には、ゴミも少なく、その場に置き去りにしておきさえすれば、忽ち腐食分解して跡かたもなくなるが、定住生活ではそうはいかない。ゴミは分解速度を越えて溜まる一方で、「チリも積もれば山となる」。あまつさえ毎日の食事に伴う、いわゆる台所ゴミは悪臭で鼻もちならない。アメリカ先住民のアリカラ族では、まず身分階層の上位グループは風上に陣取ってしのいだが、風下に追いやられた多数派はたまったもんじゃない。ことほど左様に縄文人の苦労が忍ばれるというものだ。これに輪をかけて、貝類を捕食していた海岸のムラでは、連日排出されるそれらの貝殻は、自らのカルシュウム分に保護されて、分解を免がれ、形をとどめたままで嵩ばる一方である。しかも内陸部への交易品としての干貝加工が盛んとなるにつれ、まさに産業廃棄物であふれ返らんばかりである。

 縄文人は、勿論たまる貝殻を舌打ちしながらただ横目で睨んでいたわけでは決してない。取り敢えずムラの端っこの斜面に投げ捨てて当面の場をしのいだ。それが考古学で言うところの斜面貝塚である。続いて、事情があって住まなくなって廃棄された竪穴住居の窪みが格好な捨て場とされた。ムラのそこかしこに点在する地点貝塚がそれである。ムラの定住生活が軌道にのるにつれ、その程度の応急処理では早晩臨界に達するのも蓋し当然のなりゆきである。ところがこの期に及んでついに縄文人は思案投げ首に終止符を打ち、ものの見事に難局をしのぎ切る手立てに成功したのである。

 つまり、厄介物の貝殻を逆手にとり、むしろ積極的に掻き集めてはムラの周囲をぐるり取り巻くドーナツ状の土手を築きはじめたのだ。記念物モニュメントとしての環状貝塚である。かくて、食料残滓物は単なるゴミから一転、記念物造営の建設資材となった。しかも、ムラ生活が続く限り、資材の供給も途絶えることはない。居ながらにして土手は着々と円い形を現し、高くなって紛れもない堂々たる白い記念物に仕上がってゆく。もはや多少の臭気はものともせず、記念物造営を目指す高邁な志の影に隠れて文句なしだ。

 この偉業は、縄文中期に東京湾岸で始まり、直径200メートルを越えるほどに発展した。縄文文化が誇る世界的遺産である。似たものは北アメリカ東海岸の南カロライナにも見られ、The Sewee Shell Ring(環状貝塚)はその典型であるが、土手も低く、縄文の規模には抗すべくもない。

 環状貝塚の成立は、内陸部にも影響を与え、環状の土盛りモニュメント=円形土手の造成を促した。栃木県小山市寺野東遺跡がその代表格である。直径約165メートルともなれば、その土量もばかにならない。貝塚地帯のように食べかすの貝殻がない分だけ、全て土を運んで盛り上げねばならないので、ムラの中央を掘りくぼめながら賄うこととなった。約5メートルの高低差をもつ土手はこうして地上に姿をはっきりと現したのである。シャベルなどの道具をもたず、尖った棒の先などで土を突きほぐしては掌で掬い、モッコや笊で運ぶしかないのだから、手間暇のかかること夥しい。一朝一夕では到底適わぬ相談だ。

 土手の内部には工事中に使用されていた土器が混入していて、下低部から上方へと進行するのにつれて、縄文後期の初めから後期終末を経て晩期前半まで、ざっと十段階以上の土器型式が連綿と続いていることが見てとれる。つまり一型式の存続期間がおおよそ百年見当とすれば、千年以上の長年月に亘って造営が間断なく継続されていた事実を物語っている。記念物には、他に環状列石ストーンサークルや巨木柱列などがあり、いずれも規模が大きく、目立つものである。それだけに長年月をかけ、膨大な労力が投入される。そのくせ日常的な衣食住に直接かかわる素振りが全く見えない。少なくとも我々現代人がいかにためつすがめつしても腹の足しになるものではなかった。しかし、縄文人といえども、100パーセントの骨折り損でよしとしたわけでもあるまい。つまり、現代人の思考を越えて、縄文人には他を以って代えることの出来ないほどの大いなる心の足しを得たものとみなくてはならない。

 そうした記念物を、ゴミの有効利用によって実現したのだ。縄文人に乾杯! (続く)



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